豊丘中学校 岩石園説明 1
1. 岩石園建設の動機と目的
昭和43年末,卒業記念庭園として,岩石園を建設しようという提案が44年度卒業担当学年からだされ,これを職員会で協議した。
その結果,岩石園建設を44年度,45年,46年度の各卒業生合同の卒業記念事業としてとりあげることになり,
3ヶ年計画で建設することになった。
岩石園建設の計画を父母,PTAに呼びかけたところ中庭の環境整備や,地域の教材を学習に役だたせるために建設の声が高まり,校舎と調和するような規模と内容をもつ岩石園の建設が要望された。
特に下伊那は,地質条件に恵まれ,各地から多種多様な岩石を採集することができる。このような郷土の特質を学習の面に役立たせるため,理科学習用に重点をおいた岩石園の建設を目的にすることにした。
生徒の日常生活においても,岩石園をいこいの広場とし,園内は自由に見学でき,散策を楽しめるようにし,生徒の情操を育て,自然を楽しむ広場にするこを願いとした。
2 建設の基本的な設計と方針
(1)面積と標本数
広さ (園内面積 12mx23m=276u)
(標本置場「地域以外」 4ヶ所 34u)
(歩道 111u)
(全体の面積 15mx31m=465u)
標本数 「園内標本 1,310個」
「切断研磨標本 156個」
「他地域の標本 多数」
「特別な標本 多数」
(2)標本の配置について
縮尺 5,000分の1 で地形と産出場所を合わせる。
園内は下伊那郡全体および上伊那郡南部を縮尺約5千分の1で地形を作り,地形と産出場所とを合わせて標本を置いてある。従ってこの岩石園は実際地質を復元したものである。
(3)標本の洗浄,研磨 (園内水道設置)
標本はたえず,洗浄したり,研磨したりして,完全な管理をしなければならない。見学の際には園内にホ−スで水を散布して見ることが望ましい。
(4)代表的な標本切断研磨
代表的な標本を156個選び生徒の手により切断研磨してある。これらの標本は観察がしやすく、造岩鉱物,岩石の組織,産状が見えやすなっている。
(5)地域外標本置場
当地域では産しないが,ごく代表的な岩石については,地域外標本置場に並べてある。
(6) 現地性のジャリを敷く
地質の復元効果を高めるため各河川のジャリを敷く。
(7) 園内の基礎工事は入念にする。
排水溝を十分に入れ,標本はコンクリートで固定する。
昭和43年12月2年学年会で岩石園建設の声がおこり 翌44年3月までの間に全職員
各学年PTA総会で協議した結果 44〜46年度3ヶ年合同の記念事業と決定した 44年度 4月に岩石園建設委員会が発足 ただちに整地作業に入る 4〜7月に第1次標本採石作業を行った。 出動日数30日 下伊那南部の代表的河川70ヶ所より 標本数1400個を採集した。 トラック走行距離は3496kmとなった。 一方学校は第3校舎と給食室の間の土地を岩石園のために石積みや下伊那の地形に合わせて土盛りを行った。 表面にはサバ土を入れ、その頃から各地の岩石が搬入され始めた。 |
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出動延人数は164人 <職員と建設委>にのぼり、 使用自動車延台数60台になった。 生徒は土盛り、基礎工事、標本搬入、標本研磨等実施、 2-3学期の作業日数50日に達した。 45年度 歩道および周囲コンクリート打ち作業、村内からの第5次採石。 生徒による標本研磨作業、標本仮個定、ネーム板取付等実施、 年間作業日数は90日となった。 いよいよ岩石園が姿を現した。 最初に生徒達は並べられた標本をたわしで洗浄し整備を行った。 |
46年度 コンクリートによる標本固定作業を46年度卒PTA作業で実施した。 7月に村の教育委員会へ移管。 その後、標本台帳づくり、学習帳編集、説明板設置などの仕上げ作業を経て、 2月11日に開園式となった。 右の写真は研磨標本の岩石を生徒が砥石で磨き、ピカピカのつやが出始めてきたところ。 |
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生徒にとっては卒業記念ということで熱心に研磨作業に取り組み一面を磨き終わるのに、最低でも3時間はかかったとのことである。 |
総額 75万円。 これは支出した金額のみである。
<これは 生徒 PTA、 村費よりの合計金額である>