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松尾多勢子と墓
文化8年(1811)山本村(現飯田市山本)に生まれる。19歳で伴野村松尾左次右衛門に嫁す。四男三女を育て、主婦として家事を切り盛りするかたわら歌を詠み、国学を学ぶと共に勤皇の思想大いに高揚。文久2年(1862)9月上京、時に52歳の多勢子は、歌をもって諸公卿(くぎょう)のもとに出入りする一方、久坂玄瑞・品川弥二郎ら志士とも交わり国事に奔走し、翌年五月に帰郷した。
明治2年、千村・山村両家の依頼を受け、東京に出て岩倉家その他諸家に出入りして志士と交わる。
明治27年(1894)6月10日、84歳にて没する。多年の誠忠が認められ、正五位を贈られる。
(平成20年11月)
幕末の女流勤皇家 松尾多勢子について
明治2年、千村・山村両家の依頼を受け、東京に出て岩倉家その他諸家に出入りして志士と交わる。
明治27年(1894)6月10日、84歳にて没する。多年の誠忠が認められ、正五位を贈られる。
(平成20年11月)
幕末の女流勤皇家 松尾多勢子について
豊丘村資料館への展示品
懐剣
白子袖
平五位
旅櫛笥
旅日記